望星学塾について

ABOUT

望星学塾の歩み

松前重義と望星学塾

望星学塾・東海⼤学創⽴者
松前 重義
(1901〜1991)

望星学塾は、松前重義がキリスト教思想家内村鑑三(1861~1930)に学んだ人生の尊い生き方を継承し、具体的に実践するために開いた私塾です。デンマークの国民高等学校の教育を範としています。
松前は、内村の影響を受けて数人の同志と自宅で勉強会(聖書・教育研究会)を開き、人生観、世界観、使命感や理想などを語り合い、教育に後半生を捧げる決意を固めます。1934(昭和9)年6月にドイツ留学から帰国した松前は、翌1935(昭和10)年1月に電気学会より長距離無装荷ケーブル通信方式の研究に対して「第10回浅野博士奨学祝金」を授与されました。松前は、この祝金を活用して武蔵野の地に自宅と浅野博士奨学記念館(現・望星学塾の塾舎)を建築し、自宅での勉強会を継続しました。多くの仲間、同志が集まり、共に語り、研究し、学び合い、大学建設の目標も共有するようになりました。
望星学塾の塾舎建築と設立趣旨については『上棟式の詞』に、また東海大学における望星学塾の歴史的、思想的位置づけについては『望星学塾発祥の地』に、松前自身が簡潔に記しています。
私塾としての活動は、1944(昭和19)年7月、アジア・太平洋戦争の早期終結に奔走していた松前に陸軍二等兵として臨時召集令状が発せられるに及んで不可能となりました。
再開は、1976 (昭和51)年5月の松前少年柔道塾に始まり、1982(昭和57)年1月に学校法人東海大学の機関となり、現在に至っています。

理想を求めて武蔵野の地に・・・上棟式の詞

1935(昭和10)年 6 月 8 日、望星学塾の塾舎である浅野博士奨学記念館の上棟式を挙行しました。松前重義は建築主として、塾舎に経緯、目的、協力者、年月日を記した棟札を取り付けました。内村鑑三に学び、人生に対する使命感を深く認識し、青年教育への志を抱いた松前は、教育実践の第一歩を、ここに形として現したのです。簡潔明快に記された詞から草創期の情熱が感じ取れます。
浅野博士奨学記念館は 、現在は望星学塾記念館として保存・公開しています。

上棟式の詞(現代語訳)

昭和10年1月26日に電気学会より浅野博士奨学祝金の1,000円を受けて、
これを記念するために本館を建築します。
よって本館を浅野博士奨学記念館と命名します。
私は、はじめ内村鑑三先生によってキリスト教の福音を信じて聖霊にうながされて
キリスト教的教育をつくりあげる希望をもつようになりました。
たとえ本館が小さく、この目的のための1つとして使命をなしえないとしても、
霊魂の救済と、智能の充実および肉体の鍛錬のため、その2つが補い合い、
健全な教育の目的を果たすことを祈ります。
浅野應輔博士には、博士が電気学会に依託された記念事業によって
この計画を援助していただき、
逓信省工務局長梶井剛氏には、私の指導者として祝金受領者に私を推薦していただき、
この記念館建築の直接的な動機を与えていただき、
篠原登学士には研究に対する献身的な援助者として
間接的な動機を与えていただいたことをここに特別に記します。
なお本館は水戸市在住の内村鑑三門下である大津鐵吉氏の誠意ある努力によって
建築されました。

昭和10(1935)年6月8日
松前重義

望星学塾の活動~人生観、歴史観、世界観の研鑽

戦前の望星学塾における活動の中心は日曜集会でした。松前はロマ書(『新約聖書』中の「ローマ人への手紙」)に関する研究の発表が多かったと伝えられています。日曜集会のほかには、外部講師を招いて開く講演会、学塾外での講演会、海外伝道、出版、そして塾則を制定して寄宿塾生の養成を行いました。 塾生は、寄宿生と通塾生に分かれていましたが、共に聖書の研究を行い、人生観・歴史観・世界観について研鑽を積み、デンマーク体操で身体を鍛え、人生を有意義に生きるための学習を重ねました。
1940(昭和15)年3 月には、内村鑑三先生記念望星講座「我等の世界観」を、東京・神田で5日間にわたり開催し、内村鑑三没後10年を記念して科学と宗教の立場から三谷隆正、政池仁、石原兵永、松前重義が講演しました。
現在の望星学塾では、学塾創立の精神と活動を継承して、スポーツ・体育、講演会、国際交流、出版、夏期学校・研修会などの活動を展開しています。

デンマーク体操に励む

東海大学の母胎 ・・・望星学塾

1981(昭和56)年9月の望星学塾新館(現・本館)落成にあたり、松前重義が書き記した「望星学塾発祥の地」を碑文として玄関前に設置しました。 この中で、「今日の東海大学建学の精神はここに発しており 本学塾はまさに東海大学の母胎と言わなければならない」と明記しています。
また学塾の信条として「若き日に」の四つの言葉を挙げ、「望星の名は汝の希望を星につなげに由来する」と明かしています。 「望星」の名は、遠大な理想への献身を表しています。

「望星学塾発祥の地」碑と松前重義の胸像が設置されている。(胸像は北村西望作。1982(昭和57)年5月、小野山隆也氏より寄贈)

(碑⽂)
望星学塾発祥の地

昭和⼗⼀年無装荷ケーブル通信⽅式の研究により
電気学会から贈られた浅野奨学祝⾦を基⾦として
私はこの地に望星学塾を創設した
この学塾は祖国の将来は教育によって
有為なる⼈材を世に送るにあるとの信念から
デンマーク復興の⽗ニコライ‧グルントウィの
国⺠⾼等学校の教育を範として開いた⻘年道場である
ここに私は⻘年達の宿舎、体育館兼講堂、図書室を造り、
同志篠原登博⼠、⼤久保眞太郎⽒をはじめ有為の⻘年たちと共に
聖書の研究世界の歴史思想の研鑚を続けた
私はかねて正しい思想教育の礎の上にのみ
科学技術は社会と国家に対してすぐれた歴史的役割を
果たすことが出来ると主張しておった
今⽇の東海⼤学建学の精神はここに発しており
本学塾はまさに東海⼤学の⺟胎と
⾔わなければならない
私は学塾の信條として
若き⽇に汝の思想を培え
若き⽇に汝の体躯を養え
若き⽇に汝の智能を磨け
若き⽇に汝の希望を星につなげ
ここに東海⼤学は出発した
望星の名は汝の希望を星につなげ
に由来する

昭和五⼗六年九⽉⼆⼗⽇
松前重義
(原文を一部書き改めた部分があります)

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